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Selfishly

Selfishly

Forty Nine Days  p4


~~~ Forty Nine Days p4 ~~~


      ・・・ 貴方の傍に居られる時間 ・・・



 ロイの考えが変わらないと判った副官は、仕方無さそうに溜息を吐いて、
 くれぐれも無理をしないようにと何度も念を押していた。
 エドワードに納得して貰えるかも難問だったが、それでも何とか頼み込もうと決めていた。
 幸せに酔っている愚か者の行動であっても構わない。自分が納得して行動出来るのなら。
 不承不承の周囲の了承で、出立を決めた。 
 東方からはさすがに一緒には行けないので、エドワードは一足早く中継の駅まで行って
 ロイが乗る列車を待っていてくれる。

 ゆっくりと過ぎる景色に、少しばかり苛立ちを籠めた視線を向けて、ぼんやりと時間を過ごす。
 独りで過ごす時間など慣れていた筈なのに、今はそれが酷く味気ない。
 エドワードの気配も感じられない空間は、寒々しい気さえしてくる。
 個室のせいか、他の乗客にも煩わされる事無く、ロイは無為に時間を過ごして待つ。

 一旦部屋の外が賑やかになったのは、ここで乗換えが行われているからだろう。分岐点にも当たる駅だから、
 降りる者も多いが乗り込んでくる者も多い筈だ。
 停車時間が長く感じられる中、ざわめきも落ち着き、ゆっくりと振動が始まる。ロイは扉の傍に座って、
 組んだ指を落ち着き無く叩いている。動き始めた列車の振動さえ気づいていない様子だ。

 コンコン

 軽く控えめなノックの音に、弾かれたように返事を返す。
「はい」
 その短い返答の後、扉はそっと開けられて一人の青年が顔を出す。
「おーっす。待った?」
 へへへと笑いながら入って来た青年に、ロイも釣られて笑い返す。
「どうしたんだい、その格好は」
 黒い髪に日除けのツバの広い帽子を被った姿は、見慣れてないだけあって面白い。
「おかしいかな、やっぱり? 髪は何とか変えられるけどさ、目はそうは行かないだろ?
 仕方ないんで、帽子被って隠してきたんだ」
 そう楽しそうに話す素振りは、悪戯を楽しんでいる子供そのものだ。
「いや、おかしくはないが。普段と全く違っているから、別人に思えるな」
 自分の前の席に座ったエドワードの黒髪が珍しくて、思わずまじまじと眺めてしまう。
「しかしまた、思いっきり変えてみたんだな」
 エドワードの瞳の色を考えれば、もう少し違和感無い髪色にした方が、余計な苦労はないのではないだろうか。
「うーん、どうせなら思いっきり変えた方が、判り難いだろうし…、
 まぁ、あんたとこうして並んでいても、同じ黒髪なら怪しまれにくいしさ」
 歳の差のある男同士だと奇異な目で見られるだろうが、兄弟や親戚とかなら不審がられる事は少なくなる。
 エドワードの本来の色では、その設定には無理が有りすぎる。エドワードのなりに、気を使った結果だ。
 家の中ばかりで過ごしていたせいか、ロイにはそんな観念は薄くなっていたが、考慮して然るべきことだった。
「そうだな、済まない配慮が足りなくて」
「べ、別にそんな対したことじゃないぜ? …それにロイと同じ色なのは、嫌じゃないし」
 そう告げながら、エドワードは椅子の座り心地を試しているように、足を揺らして気恥ずかしさを誤魔化してみる。
 そんな子供ぽい仕草に、ロイは温かい気持ちにさせられる。
「そうだな。今度任務以外で旅行に出かける時には、私が金色に染めてみるのも悪くないな」
「あんたが金髪? 似合わないって、それ」
 面白そうに笑う表情に、ロイも笑い返す。今はエドワードの為にも気をつけてしか行動できないが、 
 全てが終わったら、そんな事は気にしないで出かけるように伝えよう。彼が彼自身で自由に居てくれる事が、
 ロイにとっては何よりも嬉しい事だ。


 ***



「気持ちいいよなぁー」
 湖面を見下ろしながら風を受けて立つ。早々に嫌な役目を終えると、
 ロイは予てから予約していたログハウスへと向かう。
 ここは麓のホテルが同時に経営している1戸建てのログハウスで、大人数の宿泊用に貸し出しされている内の1軒だ。
 余計な人目に煩わせれずに自然を満喫出来ると言う売り込み通り、1軒1軒の間も離れており、
 遊歩道からも外れて建てられている為、訪問する目的無くわざわざは近づく者もいないだろう。
 食事は麓のホテルでも取れるが、自炊出来るだけの設備も充実している為に、
 食料を持ち込んでバーベキューやホームパーティーを行う者も多い。

「けど、贅沢だよな、俺達って…」
 数ある室内は、山小屋風に作られてはいるが、最新の設備で快適に設えられている。
 今居るリビングも、優に十人くらいは寛げるのではないだろうか。
「たまにしか貰えない休暇だ。少しばかり贅沢に過ごしたとしても、罰は当たらないさ」
 敷地内の遊技場や案内のパンフレットを読み流してみる。山の中で娯楽が少ないせいか、
 アスレチックやら室内競技やら、今流行の美容やバーなど宿泊者を飽きさせない工夫を凝らしてある。
 が、特に二人が心惹かれるようなものは別にない。いつもと変わらず他愛無い話をしてみたり、
 エドワードによる料理の特訓をロイが受ける事にしたりする計画だけで十分楽しめそうだ。

 テラスになっているベランダで、夕焼けを眺めていると肌寒い空気が満ちてくるのが感じられる。
 山の中だけあって、寒暖が激しいのだろう。ロイがこんな、良く言えば自然に満ち溢れ、
 悪く言えば辺鄙な場所を選んでくれたのは、聞かなくても判る、エドワードを気遣ってのことだ。
 まだ肌寒いこの季節では、観光や保養目当ての人も
 少ない時期だが後一月もすれば、気候を楽しむ人々で溢れかえるのだろうが。

 寒くなった大気の為か、エドワードは小さく身体を振るわせる。

 暗くなる光景では、鳥達も巣に戻りついたのか、鳴声もなく静まり返っていく。薄墨に落ちていく視界が、
 思い出したくも無い事まで浮かばせてくる。
 エドワードは頭を振って嫌な回想を振り払う。時はまだ残されている。躊躇う瞬間はもう終わっているのだ。
 今は後悔しないように、前だけを見据えて行かなくてはならない。 
 そんな事を思い浮かべていると、カラリと背後で扉が開けられる音がして、振り返る。
「エドワード、夕食の準備が出来たぞ」
 ラフな格好にエプロンを着けたロイが、エドワードを探しに来たようだ。
「ん、無事に作れてると良いんだけど」
 くるりと暗闇に背を向けて、エドワードはロイの方へ、明るい室内へと入っていく。
「馬鹿にしてくれるな。バーベキューなら、野営の時に活かした腕でも十分出来る」
 そう笑って言いながら、エドワードの額を小突こうとしたロイが表情を変える。
「なに?」
 怪訝に思ったエドワードが答えを聞く前に、ロイはソファーに置かれていたケットを回し掛けてくる。
「冷え切っている。一体いつから外に出ていたんだ」
 肩を抱きこむように掛けられたケットを握り締めながら、憮然とした表情のロイに感謝を籠めて微笑む。
「んー、何だか自然の凄さに気を奪われたのかも。気づけば、結構暗くなってたんだよな」
 そう呟いたエドワードを、ロイが突然抱きしめてくる。
「ロ…、ロイ?」
「エドワード、一人で考え込んだりしないでくれ」
 ロイのそんな言葉に、エドワードは驚いたように相手の方へと視線を流す。
「ロイ…」
「……… 君は戻ってきてから、時たま辛そうにしているな?
 私に出来る事がそう無い事は解っているが、君の気持ちを軽くする位はさせて欲しいんだ」
 時折、独りっきりになっているエドワードを見かけると、彼はいつも遠くを見つめている。
 勿論、弟を慮っていて当たり前なのだが、それよりも、更に遠く、ロイには思いも付かない先を見ているようで、
 不安を感じずにおれない時がある。
 錬成の手助けが出来るなどと自惚れはしないが、せめてエドワードの杞憂を軽くする手助けくらいはしてやりたい。
 エドワードは自分を見つめる真摯な瞳に出合うと、ストンとロイの腕の中へ身を任せる。
「……ありがとうな、それにゴメン。心配掛けてたみたいで…」
「心配くらいはさせてくれ!」
 腹立しそうな声に、エドワードがロイの目を窺うように見つめてくる。
「何も…、昔から私は君に何もしてきてはやれなかった。私に出来たことと言えば、いつも君達兄弟を案じることくらいだ」
 悔しさの滲む声音は、ロイ自身の悔恨なのだろう。
 そんな事はないと伝えるようにエドワードは首を横に振り、ロイの腕から抜け出て、
 火の灯された暖炉の前のソファーにロイも連れて座る。

「ロイにはきちんと話していなかったと思うけど、錬成は上手く行ってるんだ」
 火の灯りに照らされ話し出すエドワードの横顔を見る。
「アルの身体は正確に言えば、もうこちら側に戻ってきてる」
「戻っている?」
「ん、厳密に言うとこの現世じゃないけど、扉の向うからはちゃんと抜け出せたんだ。
 で今は、精神と身体の融合が始まっている」
 エドワードの不思議な話を、ロイは口を挟まずにじっと聞き入っている。
「アルの身体は、長い間精神と分裂して存在していたから、馴染むまで時間もかかるし、拒否反応も出たりもする。
 でも、錬成は間違いなく成功するし、アルも無事に戻って来れる」
 そのエドワードの断言がどこから導き出されてものかは、ロイには理解が及ばない。
「勿論、全く不安がないかと言えば嘘になるけどな。
 でも俺は出来るだけの布石は打ってきたし、その選択に間違いはなかったと自信を持って言える」
 そう力強く言い切るエドワードの横顔を、黙り込んで見ていたロイの感じた事が、思わず口を突いて出てしまう。
「それなら何故、君はそんな哀しそうな目をしているんだ?」
 そのロイの言葉に、エドワードが驚いたように振り向く。
「哀しそう? 俺が?」
 ロイから指摘をされるまで、本人も気づいていなかったのだろうか。
「ああ…。君の術は完全で、大切な弟も無事に戻ってくると確信しているなら、
 何故そんな全てを諦めたような彩を瞳に浮かべてるんだ?」
 その瞳の彩が、ロイの不安を誘い増長させていく。
 長い沈黙が落とされる中、エドワードはロイの肩に頭を凭せ掛けて、
 長い吐息を吐き出しながら身体から力を抜いて預けてくる。
 ロイは腕を上げて、そんなエドワードの肩を抱く。
「――― 俺は、間違ってないと思っている。けど、本当にそうなのかは判らない。
 独り善がりな判断だったのかも知れないし、自分勝手な思い込みなのかも知れない。
 ただ言えるのは、俺はその判断を後悔してはいないって事だけだ」
「……… 君が判断した事とは何なんだい?」
 聞かねばならないのは、そこなのではないか…そんな勘が、ロイに追求するように訴えてくる。

 エドワードは凭せ掛けていた頭を上げてロイを見つめると、優しい笑みを見せて、また肩に凭れる。
「一つは、あんたの…ロイの元に来たって事だな。
 本当なら錬成中は傍に付いて置きたかった。けど、錬成が動き出して安堵した時に、無性にあんたに会いたくなった」
「エドワード」
 ロイは肩を抱いていた腕を持ち上げて、エドワードの髪を掬い出す。
「錬成前に会った、最後の夜に約束した事を覚えてる?」
「ああ、勿論だとも。君が戻るまでずっと、叶うのを夢見続けていたからね」
 その言葉に、エドワードもコクリと頷いて返す。
「俺もだ…。ずっと、それだけは守ろうって思ってた」
「そして君は守ってくれた」
 その言葉と共に、込上げる愛おしさと抑え切れなくなって、ロイはエドワードの額に口付ける。
 くすぐったさに身を捩るエドワードを軽く抑えて離さないようにする。
 そして、暫しの沈黙が漂っていく。
 パチリとはじけた音が暖炉で上がり、それに促されるようにエドワードが話の続きを語り出す。
「でも、良かったのかな…って思うよ。弟が大錬成中に、薄情な兄ちゃんは好きな相手のとこに走ってるわけだろ?
 あんたとの約束だって、錬成が無事に終わってからって約束だったのに、フライングしちまうしさ」
 軽めの口調で誤魔化すように話すエドワードだが、彼の中の罪悪感は深く心を悩ませているのだろう。
「――― それでも君の顔が見れて、私は嬉しかった」
「ロイ…」
「アルフォンスや、他の者には申し訳ないが、少しでも早く君に逢いたかったのは本当だ。
 だから、君に悔やむなとは言えないが、少なくとも私の事では悩まないでくれ。
 君とこうした時間が過ごせている事だけでも、私にとっては十分な喜びだ」
 精一杯のロイの言葉を、エドワードがどう受け取ってくれるかは判らないが、きちんと伝えてやりたかった。

 ――― 戻ってきてくれて、『ありがとう』と 。
       君の姿を見れて『嬉しかった』と。
      そして、二人で過ごせるこの時間が、
                       『幸せだ』と ―――

 そうロイが本心からの言葉を告げている間にも、ロイを見つめているエドワードの大きな瞳からは、
 次々と涙を溢れさせている。
 そして震えている唇で、ロイに問いかけてくる。
「ほ・・んとうに? 俺、…戻って来て良かった…?」
 頬を伝う涙を拭いてやりながら、ロイは怯えた色を浮かべているエドワードに出来るだけの愛情を籠めて、微笑んでやる。
「ああ、君が戻って来てくれて、私の所に来てくれて、本当に良かった」
 そう語り、震えている唇を宥めるように口付けをする。
「間違ってない…、俺が選んだ事?」
 縋るよな表情で問うエドワードに、ロイははっきりと頷いてみせる。
「君の選択は間違ってはいなかった。少なくとも、私は今こうして君の傍に居られて、幸せだよ」
 ロイには別に他意は無い。深い罪悪感で雁字搦めのエドワードの気持ちを少しでも軽くしてやりたかっただけだ。
「…… 後悔、するかも…?」
「しない。絶対にそれだけは断言できる」
 エドワードは何にそんなに怯えていると言うのだろうか…。
 確かに祝福ばかりの恋ではないだろうが、それでも互いが離れ離れで生きる辛さを思えば、比べる必要さえ無いと言うのに。
 もう1度、先ほどより深めの口付けを落として、ロイはエドワードに告げる。
「エドワード、君を愛してるこの気持ちは、真実だ。決して、後悔はしない」
 自分の心の底まで見せようとするかのように、ロイはエドワードと視線を外さない。黒の闇には揺ぎ無い意思の強さが満ちている。
 エドワードはその瞳を覗き込んで、不安に歪む自分の顔を見ないで済むように瞳を閉じ、ロイの胸に額を擦り付ける。
「……… ありがとう、ロイ。俺、もう悩まない」


 ――― 例えこの時だけであっても、ロイが言ってくれるのなら、もう悩む自分は捨て去ろう。どちらにせよ、賽は投げられたのだ。
 運命の歯車よろしく、錬成は回り続けているのだ。
 今の自分に出来る事は、後悔し続けることでも、悩み哀しむ事でもない。そんな事は、時が来てからでいいのだ。
 何の為に戻ってきたのかを、忘れずに居よう ―――

 
 「そ…ろそろ、…夕食を食べようか?」
 さり気なく回していた腕を外して、そう声を掛ける。先ほどまでの流れでこんな事を言わねばならないのは無粋だが、
 このままでは抱きしめているだけでは済まなくなってしまう。
 思いを交わして一緒に住んでいても、二人の関係は依然プラトニックのままなのだ。
 ここで己の熱をこれ以上上げてしまえば、制御できるかどうか、甚だ自信が無い。
 なら抱いてしまえば良いじゃないかと言われれば、ロイのなけなし理性がストップを掛けてくる。
 ――― 即物的な男だと思われたくは無い ――― と。


 漸く手にした思い人に、臆病になっている感はある。が、『好きだ』
 『俺も』の後に、『じゃあ』と己の欲求に従って突き進むのは、余りにもお粗末な気がする。どちらかと言うと、
 恋愛には奥手なエドワードだ、彼の気持ちを考えるのなら、焦らずゆっくりと進むべきだろう。
 そんなロイの理性と欲望の葛藤は、一緒に住んでいるからこそ、余計に深い。
 もう少し…と未練がましく哭く欲望を押さえ込んで、ゆっくりと身体を離していく。
 と、エドワードが逆に縋るように腕の力を強くしてくる。
「…どうしたんだい? まだ、お腹は空いていないのか?」
 戸惑いながらのロイのその言葉に、エドワードは違うと言うように、胸に摺り寄せている首を横に振る。
 珍しいエドワードの甘えた仕草に、ロイは観念したように再度腕を回して、あやすように身体を抱きしめてやる。
「じゃあ、もう少しこうしていようか」
 と呟いてエドワードの背を軽く叩いてやるが、エドワードはそれにも首を横に振って返してくる。
「エドワード?」
 いつにないエドワードの様子に困惑気味に呼びかけてみる。
 その声に呼ばれたように顔を上げたエドワードの表情に、ロイは目を奪われてしまう。
 潤んだ瞳は酷く扇情的で、眦を紅く染めているのも艶やかな癖に初々しい。薄く開かれた口元が、
 ロイの欲情を煽り立てて仕方がない。ロイの心拍数が、欲望のバロメーターを表しているかのように、一挙に加速していく。
「…済まない。す、こし離れて・・貰えるか」
 思わず抱きしめる腕に力を籠めそうになるのを耐えて、ロイはエドワードの視線から顔を背けて、
 互いの距離を空け様と身じろぎする。

「……… いいんだぜ、俺…」

 そんなエドワードの呟きに、思わず離れようとしていた体が動きを止める。
 そして、背けていた顔をエドワードに向けて、彼の視線を受け止める。羞恥の為か、
 ほんのりと頬を紅く染めながらロイを見つめるエドワードの表情には迷いはない。
 エドワードの言葉の本意を探ろうとして、ロイがじっと見つめ過ぎたのか、エドワードはおろおろした様子で言葉を続ける。
「あっ、あのぉ…。も、勿論、あんたが…嫌じゃなければなんだけど…」
 語尾の方は小さく消え入りそうに呟かれたのは、エドワードの心情を表してなのだろう。
 『嫌な筈が無いだろう』 そう告げようとした頭より、身体の方が何倍も己の欲望に素直だった。
「んっ…!」
 エドワードが性急なロイの行動に驚いたように目を瞠る。ロイは繋がれた鎖を解かれ飛び出す犬のように、
 言葉を発する間もなくエドワードの唇を塞いでしまう。
  
 好意を示すキスは何度となく繰り返してきた。
 愛情を分かち合う為の口付けも何度もした。
 けれど、それ以上の互いの熱を高め合う為の口付けは、これが初めてだ。
「あ…ふぅ…」
 漏れ出る吐息さえ勿体無いとばかりに、ロイは更に深く口付けて、奥へ奥へと侵入していく。
 エドワードが、激しくなる口付けに苦しそうに眉を顰める表情にさえ煽られて、ロイは欲情を止める事が出来なくなってくる。
 くぐもった喘ぎの声のような呼吸音と小さいくせに酷く響く水音と、互いが吐き出す熱の高さに酔ったように夢中で貪りあう。
「エド…、エドワード」
 熱に浮かされたかのように、ロイは口付けのほんの僅かな合間に、何度もエドワードの名前を囁き続ける。
 エドワードには返事を返す間も与えない癖に。
 激流のように自分を翻弄し続ける口付けに、エドワードは返す事も応える事も出来ず、されるがままに受け止めるのに必死になる。
 キスには大分と慣れてきたと思っていたが、こんな息継ぎも碌に出来ないほど激しくされれば、息さえまともに吸い込めない。
 意識が朦朧として、目の前がチカチカと点滅している。
「…ろ……ぃ!」
 ぐいっと強引に相手を押しやって、エドワードは漸く吸い込める酸素を忙しなく吸い込む。が、苦しかったのは、
 どうやらエドワードだけではなく、ロイも同様に荒い息を吐きながら、エドワードを気遣ってくる。
「す……まない。余りの嬉しさに――― 夢中になってしまって…」
 照れたように弁解しつつも、ロイの表情は嬉しさに綻んでいる。
 まだ息の整わないエドワードの背を摩りながら、様子を窺っている。
 漸く落ち着いた頃に、ロイはエドワードの頬を両手で包み込んで上向かせ、瞳を覗き込むようにして聞いてくる。
「……エドワード、そのぉ…、本当に良いのかい…?」
 先程までエドワードを翻弄させていた本人とは思えないほど、控えめで躊躇いがちな口調だ。エドワードは恥かしさに耐えながら、
 小さく頷くのと逆に、きっぱりとした口調で返事を返す。
「うん。――― 俺があんたに触れたいんだ」
 頬を少し染めてエドワードがそう言切った瞬間、エドワードの身体は宙に抱き上げられていた。
「うっわ!」
 突然のロイの行動に慌てるエドワードにお構い無しで、ロイは無言でエドワードを抱き上げて歩き出す。
 ロイの目指す先を察したエドワードは、瞬間身体を強張らせるが、小さく息を吐き出して、
 ロイの首に腕を回して体の力を抜く。
 そんなエドワードの様子に、ロイは小さなキスを触れる頬に落として、まだ灯りが灯されていない部屋へと
 二人して滑り込んで行ったのだった。


 ***

 ――― 眩しい… ―――
 
 エドワードは差し込んでくる暖かな陽光に、起床を促されていく。
 気だるげに数度瞬きを繰り返していると、意識も次第にはっきりとしてくる。
「…… あれっ?」
 起き上がらずに視線を巡らして、妙に思った原因に思いつく。日の光が差し込む部屋は、
 エドワードが見慣れない部屋なのは当然だが、…夜に入った部屋とも違うようだった。
 そこまで考えて行く内に、昨夜の自分達の行動が途端に鮮明に思い出されていく。
「………!」
 思い出した途端、沸騰しそうな恥かしさで、思わず出ようとしていたシーツに潜り込む。
 ――― そっ、そうだ…。き・・のうの夜は…―――
 思い出してしまえば、頬が熱くなるほどの恥かしさが湧き上がって、動きの鈍い体の意味も納得した。
 もぞもぞとシーツを掻き抱き、湧き上がり続ける羞恥に独り身悶えしてしまう。
 ――― 独り…? ―――
 そしてやっと、自分が独りベッドに寝ていてロイが居ない事に思考が及んだ。
 ソロリとシーツから頭を出して周囲を窺うが、一緒に寝ていた気配は濃厚に残っているが本人は見当たらない。
 一抹の寂しさを感じながら、ソロリと起き上がろうかと思った瞬間、ノックも無しに扉が開かれる。
 ガチャリと鳴った方向へ思わず視線を向けると、丁度入って来たロイとバッチリ視線が合ってしまう。
「やぁ、目が覚めたかい?」
 嬉しさで満面の笑みを向けてくるロイに、エドワードは思わず動きが硬直してしまう。シーツに包まって頭だけ出して、
 動きを止めているエドワードの様子に、ロイが心配そうに窺ってくる。
「大丈夫かい? …体が辛いんじゃ……?」
 エドワードの顔色を窺うようにして近づいてくるロイに、エドワードはこれ以上は無いほど顔を紅くし、
 それを隠すようにシーツの中に潜り込んでしまう。その反応でエドワードの怪訝な行動の意味を理解して、
 ロイは小さく笑うと丸まっているシーツの塊を、あやすように手の平で軽く叩く。
「目が覚めたのなら、風呂の準備が出来たから入ろうか? 昨日、綺麗に拭いておいたんだが、入りたいだろ?」
 優しい声で尋ねられても、エドワードにはどう答えて良いのかさえ思いつかない。
 肯定とも否定とも取れる身動きをもぞもぞして、一向にシーツから出てこないエドワードに、
 ロイは楽しそうに話しかけてくる。
「折角の二人で過ごした朝なのに、顔も見せてくれないのかい?」
 からかい混じりの言葉にも、シーツに包まった相手は更に縮込んでしまっている。エドワードの頭の中を覗けば、
 『どうしよう』の言葉ばかり点滅しているのだろう。
 ロイはベッドの端に腰を掛けて、そんな可愛い反応を見せてくれるエドワードの様子を楽しんでいたが、
 顔が見れないのは寂しい。
 さて、どうしたものかと考えた後に。
「エドワード、おはようの挨拶位はしてくれないか?」
 そう告げてみると、何やらシーツの中からもごもごと返事らしきものが返ってくる。
 そんな反応に思わず噴出しそうになるのを我慢して、ロイは業とらしく声のトーンを落として声を掛ける。

「君は……、もしかしたら、後悔してるんじゃ…」
 そのロイの言葉に、エドワードは思わず叫んでいた。
「そんな事は、絶対にない!」
 シーツから勢い良く顔を出してのエドワードの言葉に、ロイは満足そうに頷くと。
「おはよう。そろそろ入浴にしよう」
 と語りかけながら、エドワードの頬を包んでキスを落とす。
 ―― 引っ掛けられた…――
 そう気づいたエドワードが、憮然とした表情でロイからのキスを受ける。
 少々、手馴れた相手の行動に悔しさを感じながら、返事を返す。
「…おはよう」
「ああ、おはよう。素晴らしい朝…、いや、もうお昼だな」
 上機嫌にそう返しながら、起き上がろうとしたエドワードより素早く、抱き上げてしまう。
「ちょ! 降ろせよ! 独りで起きれるって!」
 エドワードの抗議を楽しそうに受けながら、ロイはあっさりと返す。
「無理だよ。多分、立てないんじゃないかな」
 そのロイの言葉にまさかと思うが、…確かに身体に力が入らない。
特に下半身は鉛の様に重いし、しかも鈍痛が響いてくるは、節々も悲鳴を上げて訴えてくる。
 ギクリと身体の動きを止めたエドワードに、ロイは申し訳なさそうな表情で語る。
「済まない。気をつけてとは思っていたんだが、途中からはそれも頭から飛んでしまってたようで…。
 今日は動けないだろうから、全面的に私が責任を持つよ」
 表情は済まなさそうな癖に、話す口調は嬉しさが滲んでいる。
 そんなロイの様子に、エドワードはがっくりと身体の力を抜いて諦める。室内の浴室を通り過ぎ、
 リビングへと向かうロイにエドワードが不思議に思っていると。
「今日は良い天気だからね。外のジャグジーを沸かしてあるんだ」
 と、陽光の下、シーツに包まったままのエドワードを連れて出る。
「そ…外!」
「ああ、きっと気持ちが良いよ」
 慌てるエドワードとは反対で、ロイは迷い無く浴槽の傍まで歩いて行くと、エドワードを縁にそっと座らせて、
 羽織っていただけのガウンを脱いで中に浸かる。
「ロ、ロイ! ここ、そ…外なんだぞ」
 ロイの裸体から恥かしそうに視線を背けてのエドワードの抗議にも、ロイは構う事無く座らせていたエドワードを
 シーツごと抱きとめて浴槽に引き込む。
「大丈夫だ。今はまだ、観光には早い時期だから、見咎められる心配は無いさ。
 ここら辺のロッジを借りているのも、今は私達だけだしね。
 でも君は念の為、シーツに包まってなさい。君の素肌を見れるのは私だけの特権だし」
 夜の睦言の続きのように囁かれた言葉に、浸かったばかりと言うのにエドワードは思わずのぼせそうな気にさせられた。
 膝に乗せられた体勢では落ち着かず、そわそわと周囲を窺うエドワードの様子に、
 ロイは大丈夫だからと告げながら、湯を出ている肩に掛けてやる。長い時間浸かれるようにと作られたシャグジーの湯は、
 熱すぎず丁度良い。エドワードも段々と落ち着いてきたのか、コトンとロイの肩に頭を凭せ掛けてくる。
「ふぅー」
 身体の力を抜きながら吐かれた吐息。
「気持ち良いだろ?」
「ん…、まぁな」
 身体が温もってくると、訴えていた痛みも穏かになってきた。
 気持ちを落ち着けて周囲を見回すと、暖かな日差しの中で生き生きと輝く自然が見える。
 夜の闇の中では、暗く深い深遠を思わせる森も、日の中では全く別の様相だ。
 だが、そう感じるのは人間だけなのだ。
 日の下でも、闇の帳の中でも、森は変わらずそこに在るだけだ。
 それを畏怖するか、親しみを抱くかは、人の感情に寄るもので、大きな自然の中では、
 そんな瑣末な事には関与せずに在り続ける。
 
「何を考えているんだい?」
 エドワードの思考を穏かな声が遮ってくる。
「んー、特に何ってわけじゃないけど…。これからの事かな?」
「ああ、もう直だね」
 何気ないロイの返答に、エドワードは小さく言葉を詰まらせる。
「そ…だな、もう少しだ」
 ロイが肩に湯を掛けていた手が、今度はエドワードの髪を掬い始める。
「何がしたい?」
 まるでデートの予定を決めるように楽しげに聞かれた言葉に、エドワードは小さく首を傾げる。
「何かぁー。改めて考えると、一杯有り過ぎて決めらんないよな。
 まずはアルの体調が戻ったら、あいつには学校に行かせてやりたい」
「学校? 今更?」
 意外な言葉に、ロイが面白そうに聞き返してくる。
「だって俺らって、まともに学校通ってたのは僅かだろ。確かに勉強だけなら、今更な気もするけど、
 仲間と過ごす時間が作れるなら、行かせてやりたいんだ」
「そうか、それも良いね」
「ん。それから、あいつが好きなもん、一杯食べさせてやりたい。
 俺ら旅している間ずっと、身体が戻ったらこれ喰おうな、あれも喰おうってずっと言ってたし」
 エドワードの語る声には、優しさが滲んでいる。
「良いね。しかし、そうするとアルフォンス君はあっと言う間に、成長してしまいそうだな」
「あははは、だよなぁ。子供の頃から、悔しいけどあいつの方が大きくなりそうだったんだよ。
 1歳違いな癖に、背なんか殆ど変わんなくてさぁ」
 不満そうな呟きに、ロイも苦笑する。
「いいじゃないか、君はそのままでも十分に可愛い」
「可愛いとか言うな!」
 抗議の言葉に、ロイは笑いで返す。
「でも、仕方ないよな。あいつには頑張って大きくなってもらうさ。
 あいつ動物が好きだったから、獣医になろうかなぁって言ってたから、やっぱ専門の学校行かせてやりたいもんな」
 熱心に弟の行く末を語るエドワードに、ロイは頷き、相槌を返して聞いてやる。

 一頻り語り終わった頃。
「エドワード。アルフォンス君の将来の図は良いとして、君は何をしたいんだい?」
 弟思いの兄に、自分の事を思い出させるように聞いてみる。
「俺?」
「ああ、君の未来図さ」
 ロイにとっては、そちらの方により関心が湧く。幾ら仲の良い兄弟とはいえ、恋人の口から延々語られる言葉が弟のみでは、
 余り面白くないものだ。
「俺かぁ………」
 そう呟いて黙り込んでしまったエドワードに、ロイは見えない表情を覗き込むようにして呼びかける。
「エドワード?」
 
 チャパン チャパンと水音が響く。
 エドワードが足を浮かせて湯を弾いてるからだ。
「そ――だなぁ。特に自分の事って考えてなかった」
 彼らしい返事に、ロイは笑って答えてやる。
「弟の事ばかり考えてるからじゃないのかい? たまには自分の事と、出来れば君の恋人との未来も考えて欲しいね」
「こっ…!」
 ロイの言葉にエドワードが言葉を詰まらせる。
「そうだろ? アルフォンス君の錬成が終われば、君は暫く弟に付きっ切り。その間私は、放って置かれっぱなしになるわけだ。
 可哀想だと思わないかい?」
 言葉ほどロイは哀しんでいる訳では勿論無い。口調からも判る筈なのだが…。
「……… そっだな、暫く……逢えなくなる」
 エドワードはそう答えたっきり、黙り込んでしまった。
「エドワード?」
 そんな様子を見せるエドワードを気遣って、ロイが呼びかける。
 それに小さく首を振り、一言。
「ごめんな」
 と返してきた。
 ロイは目を瞠って、項垂れたエドワードの見えない表情を気にかけながら、慌てて言葉を続ける。
「エドワード、そんなに気にしなくていい。逢えないのは勿論寂しいが、今度は私からも行ける様になる。
 寂しくなったら電話をしてくれ、直ぐに飛んで逢いに行くから」
 一生懸命にそう告げるロイからはエドワードの表情は見えないが、肩が小刻みに震えている。
 堪らなくなったロイが、エドワードの顔を見ようとした瞬間。
「…っくくく。何だよ、寂しいのはロイの方じゃなかったのかよ」
 と愉快そうにエドワードが笑い声を上げて、からかってくる。
 それにホッとした途端、悔しくなって言い返す。
「勿論、私だって寂しいさ。当然だろ?」
 威張ってそう返されれば、エドワードも笑いを止めれない。
「そんな事、堂々と言う大人が居るかよ。…あんたって最高に面白いよな」
「……… それは、どうも」
 どうにも釈然としないが、ここは褒められたと受け取っておこう。

「全は一で、一は全」
 エドワードからの聞きなれない言葉に、ロイは不思議そうに耳を傾ける。

「全てのものは自分に繋がっているし、自分もまた然り、その全ての一部なんだよな。
 ――― だから…、逢えなくてもちゃんと繋がってるし、判り合える。あんたが喜ぶ事、悲しむ事、憤りや、愛しみも。 
 ちゃんと俺に伝わってくるから」
 そう話しながら、エドワードが身体を捻ってロイを見つめてくる。
「エドワード…」
 エドワードの優しさがロイにも伝染したように穏かな気持ちで満たされていく。
 そっと近付く二人の距離は、重なる事で溶け合っていく。







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